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新潟地方裁判所 昭和23年(行)39号 判決 1948年12月09日

原告

〓藤佐久馬

被告

新潟縣知事

主文

被告が昭和二十三年五月十二日附を以て新潟縣佐渡郡二宮村大字上長木字ヨセマチ二百六十八番一、田一反二十二歩及同所二百六十九番一、田一反四畝十二歩について爲した農地調整法第九條第三項による許可処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

請求の趣旨

主文と同旨

事実

原告訴訟代理人は請求原因として原告は田七反五畝九歩(内自作地二反二畝十七歩)及畑三畝歩(全部小作地)を耕作し家族四名を擁し内農耕に從事する者三名という小作農であつて前記主文表示の耕地は原告に於て昭和十一年頃その所有者たる訴外加藤新正から期間を定めず小作料年玄米二石八斗毎年十一月末拂の約束で賃借し今日迄耕作して來たのである。しかるに右新正の長男加藤新才は昭和二十三年三月中二宮村農地委員会経由で被告に対し該耕地について農地調整法第九條第三項による本件賃貸借の解約許可申請をなしたところ被告は村農地委員会が不許可意見であつたにも拘らず、同年五月十二日附で該申請を許可し、原告は同月二十四日その旨の通知をうけた。而して被告の右許可の処分の理由とするところは、本件耕地はその所有者たる前記加藤新正が長男新才、弟三正及善雄の就学のため手不足となつたのでその事由の已むまで一時賃貸したものであるというのである。然し被告の右許可処分は所有者でも賃貸人でもない訴外加藤新才の申請に基いて爲した違法であるのみならず、本件耕地については賃貸借の期間について別段の定がなかつたにも拘らず、前記就学の爲一時賃貸借をなしたものであると認定した違法があり、更に原告は該耕地を取上げられると生活に著しい支障を來す反面訴外加藤新正は該耕地を取上げなくても充分生活出來る事情を無視した違法があるものである。即ち、本件耕地は元訴外加藤若松の所有であつたが、同人は大正五年八月二十二日隱居し、訴外加藤新市がその家督相続をしてこれが所有権を取得し、昭和十年三月十三日同人の死亡によつて訴外加藤新正がその家督相続をしてその所有権を取得し今日に至つたものであつて、該耕地は右新正の所有に属し訴外加藤新才の所有でないのであるから、同人は該耕地について何等の権利を有しないものであつて、同人の申請に基いて爲した本件許可処分は違法であると謂はねばならない。又本件耕地は右新市が昭和十年三月死亡しその家督相続をした新正も当時小学校敎員であつて長男新才は九才に過ぎず到底本件耕地を自作する見込がなかつたので原告に期限を定めず、これを賃貸したものであつて就学のため一時賃貸借をなしたものではないのであるから、これを一時賃貸借であるとして本件許可処分をしたのは違法である。更に原告は本件耕地を含む田七反五畝九歩畑三畝歩を耕作するに過ぎない貧農であつて、本件耕地を喪失すれば生計を維持することが困難となるその反面訴外加藤新正は田九反三畝二歩畑二反一畝十歩を自作し他に本件耕地を含む小作地九反九畝二十五歩を所有して居るが、新潟縣佐渡郡外海府村小学校敎員であり、その長男新才も居村二宮村新制中学校の敎員であつて耕作能力は十分でない。斯かる事情なるにも拘らずこれを無視してなした本件許可処分は違法なること論をまたないのである。以上孰れの点よりするも本件許可処分は違法であつて取消を免れないものであるから、本訴請求に及んだ次第であると陳述し、被告の主張事実中訴外加藤新才が就学したこと及同人方に女子三名の耕作者が居ることは認めるがその余は否認する。尤も右加藤新正は昭和二十一年十二月三十一日原告に対し本件農地の代替地として同人所有の訴外久米地武夫小作中の田二反二畝八歩を原告に小作させるとの申入があつたので、原告は右代替地の提供を條件として、本件耕地の返還を承諾したことはあるが、加藤新正は該代替地の提供をしなかつたので、右の承諾は何等効力を生じないものであると述べ証拠として甲第一、二号証を提出し証人林金次及同〓藤キクの各証言並びに原告本人訊問の結果を援用し乙第一、二号証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は原告の請求はこれを棄却するとの判決を求め、答弁として原告が家族四名内農耕從事者三名を有する小作農でその主張の如き田畑を耕作していること、原告と訴外加藤新正との間に本件耕地について原告主張の如き小作料で賃貸借契約があつたこと、該耕地について右新正の長男新才が原告主張の日にその主張の如き賃貸借解約許可申請をなし被告が原告主張の如く許可処分を爲し昭和二十三年五月二十四日之が原告に通知されたこと、訴外加藤若松、同加藤市松及同加藤新正の相続関係が原告主張の如くであること並びに訴外加藤新正及その長男加藤新才が共に原告主張の如く敎員であることは何れも認めるかその余の原告主張の事実は全部これを否認する。訴外加藤新正が本件耕地を原告に賃貸したのは、昭和十四年であつて当時同人の長男新才、弟三正及善雄が就学したゝめ手不足となつたのでその就学終了のとき返還をうける約束のもとに一時原告に賃貸したものである。しかして新正は昭和二十一年十二月三十一日原告に対し、本件賃貸借の解約の申入をしたところ、原告はこれを承諾したのであつて、当時原告は大工を主たる職業としていたから本件耕地を返還しても生活に困難を來たすことはなかつたのである。而して新正はその後昭和二十三年三月中長男新才に本件耕地を他の田畑全部と共に贈與し、右新才がその所有権を取得すると同時に賃貸人たる地位を承継したもので、農耕に從事する者男子二名女子三名であつて、耕作能力は十分に存するのである。從つて右新才の申請に基いて被告のなした本件許可処分には毫も違法の廉はないと陳述し、証拠として乙第一号証及乙第二号証を提出し証人加藤ヒサの証言を援用し甲第一、二号証の成立を認めた。

理由

原告が訴外加藤新正から本件耕地を賃借したこと、(その日時の点はしばらく措く)右新正の長男加藤新才が本件耕地について昭和二十三年三月中二宮村農地委員会を経由して被告に対し農地調整法第九條第三項による賃貸借解約の許可申請をなしたところ被告は同年五月十二日附を以て右新才の申請を許可し、同月二十四日原告に於て、その通知をうけたことは当事者間に爭がない。よつて先ず右許可申請の当時新才が本件耕地の賃貸人であつたか否かの爭の点について按ずるに本件耕地は元訴外加藤若松の所有であつたが、同人は大正五年八月二十一日隱居して訴外加藤新市がその家督相続をなし次で昭和十年三月十三日同人の死亡により訴外加藤新正がその家督相続を爲し、順次その所有権が移轉したことは当事者間に爭がなく而して証人〓藤キクの証言及原告本人訊問の結果を綜合すれば、訴外加藤新正が本件耕地を原告に賃貸したのは昭和十一年以後であることが認められる。被告は右新才が昭和二十三年三月中新正から本件耕地の贈與を受けその所有権を取得すると同時に賃貸人の地位を承継したものであると主張するけれども、この点に関する成立に爭ない乙第二号証の記載内容は信用し難く、他に右事実を認めるに足る証拠は存しない、却て証人加藤ヒサの証言によれば、本件耕地は依然右新正の所有であつて新才に贈與したものでないことが窺はれる。從つて本件耕地の賃貸人は依然右新正であつて、前記許可申請の当時新才は賃貸人でなかつたものと謂はなければならない。而して農地調整法第九條第三項の許可申請を爲しうるものは農地の賃貸借の当事者であつて、当事者以外の者はその申請を爲しえないことは同條に明定するところである。然らぱ本件農地の所有者でもなく賃貸人でもない新才の申請に基いて被告のなした本件許可処分は既に此の点に於て違法であつて取消を免れないものといはねばならない。よつて爾余の爭点に関する判断を省略し原告の請求を正当であると認め、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用し主分の如く判決をする。

(目録省略)

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